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便利になる世界と失われるエモさ

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線香花火ってエモさの最上級じゃね??どうも僕です。

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エモいという言葉がやたらと流行っている。

ちょっと前まではノスタルジックとか、哀愁とか、情緒とか、そういった言葉で表現されていた、言い言えぬ感情を表す言葉だ。

 

 

まぁ実際言ってしまえば、良い言えぬ感情なんてこの世に存在しないと思うわけだけども?

 

例えば夕暮れの空を写した写真をエモいなんて、言語化すれば、昼と夜の境目の赤く燃えるような空が、とても美しくて同じ空を見ていたあの日を思い出す。とか。

まー言い方はいくらでもあるけど、言語化できない感情なんて存在しないわけだ。

 

要はエモいなんて言葉は言語化をサボって、「とりあえず「エモい」っていっとけばナウいし、それっぽい雰囲気は伝わるでしょ?」って言う日本語を捨て去った猿人類が作り出した言葉だと私個人は思ってたんだけども。

思っていたんですけども…



 

い…言ってる…。

ナチュラルにエモいとか言ってる!!!!!!

 

お…おで、無意識にエモさとか言ってる…。

 

 

いやいや、なんなの?俺普段こんなツイート流れてきたらば…

「は?エモいじゃなくて、【お互いがこれから起こることを知りながらヤル前の高揚感をお互いに悟られないようにそこまで興味のないどうせ最後まで見ない映画を選んでる時間って、なんとなくお互いの気持ちがわかって良いよね。セックスへの助走って感じ。】って言え!!」って怒っちゃうのに。

 

それなのにナチュラルにエモいなんて言葉を使ってしまった。しかも俺にしては多い10いいねついちゃった。恥ずかしい…。穴があったら入れてみたい…。

 

良いです。認めますよ。

「エモい」と言う言葉には不思議な魅力がある。単純に流行っている言葉というだけでなく、語感の良さや耳障りの良さがある。語源となったエモーションには「情緒。感情。感動。」という意味があり、感動するというよりも、「エモい」と言ったほうが表現しやすいし言いやすい。

 

良いでしょう。こうなったら堂々と使います。みんなエモってる?

 

エモさは利便性と対極にある

 

エモさってね、僕はテクノロジーの進化と対極にあると思うんですよ。

エモさが生まれる状況として、もどかしさや歯がゆさ、儚さ、思い通りにならない悔しさなどがある。

 

例えば、ツイッターで好きなあの子からのいいねのためにツイートを続けるのに、全然違う人からしかいいねが来なくて、もどかしいことであったり。

秋の夕焼け空をずっと見ていたいのに、気づくとすぐに夜になってしまうことだったり。大好きな部活の友達と一緒に目指した甲子園で、優勝できると信じて戦ったのに、思いもよらぬ失敗で準決勝あたりで負けてしまって涙を流す高校球児であったり。

数年前に別れた彼女をfacebookで見つけたら、すでに子供がいて、自分以外の男と満面の笑顔で楽しそうにしていることだったり。書いてたら泣きそうになってきました。真奈美幸せになってくれ。本当に好きだったよ…。

 

 

まぁ要はエモさというのはそういう部分から生まれる。

二度と手に入らないような、淡さ、儚さを持ち合わせているからこそエモい。

 

 

では、例えば高校球児が、VRが進化することで、あの日の甲子園をいつでも自宅で、まさにその場にいるような感覚で再現できたとしたら、それはエモいだろうか?甲子園をエモいと思えるだろうか?

例えばプロジェクションマッピングなどが発達して、夜空に秋の夕焼けをいつでも映し出せるようになったら、夕焼けをエモいと思えるだろうか?

 

例えばクローン人間が完成して、あの日の真奈美がいつでも俺の横にいるようになったら…facebookで見つけた真奈美をみて…僕は…涙を…流すのだろうか…?真奈美…。旦那大事にしろよ…。

 

つまり、エモさはもどかしさこそが生み出すもので、二度と手に入らないからこそ生み出される感情なのだ。だが、テクノロジーというのは、人々のそう言ったもどかしさであったり、手にしたいけれど手にできなかったものを、手に入るようにするものだ。

現実的ではない話だが、タイムマシンが発明されたら、エモさの大半は失われてしまうと思う。

 

 

すでに失われたエモさたち

 

現在進行形で、様々なエモさが失われている。

 

 例えば、1990年代のドラマでほぼ必ずと言っていいほど登場した、携帯電話がないからこそ生まれたすれ違い。あれこそまさに「エモさ」の最上級じゃないかと思う。

 

携帯電話がなかった時代は、待ち合わせ時間に寝坊して、大幅に遅れる時、もし相手がすでに家を出発してしまっていたら、連絡の取りようがなかった。

相手は家に帰るまで、相手がどういう状況か知る術がない。

 

だからこそ、相手が遅れたら、来ないんじゃないか?嫌われたんじゃないか?という不安が生まれる。不安になりながら相手を待つアヤコ。もしかしたらまだ待ってるかもと慌てて家を出るタカシ。

アヤコは1時間待ったのち。諦めて帰路につく。タカシはその五分後に待ち合わせ場所に着く。アヤコは家に着き、確認のためタカシの家に電話をかける。

その頃タカシは、アヤコがそのあたりの喫茶店でも入って待ってるんじゃないかと街を探し続ける。

 

繋がらない電話。苛まれる不安。揺れ動く感情。鳴らないポケベル…。

 

…これなんの話だ?

ポケベルあるなら鳴らせ。ポケベルの仕組み知らんけど。

 

 めちゃくちゃエモい状況だと思うけど、携帯電話が登場した今、こんな状況は生まれない。お互いが現状を逐一報告できるし、何なかリアルタイムで現在地を共有するアプリもあるだろう。

 

あまりに便利な世の中にはエモさは存在しない

 

「でも、テクノロジーによって生まれるエモさもある!」

 

お。なんか聞こえてきた。こわ。エモさマウントの使者かよ。現代と過去のエモで張り合ってどうするんだ。

 

いやまぁ言いたいことはわかる。例えばSNSの先駆け、mixiなんかでは、みんなの現状が把握しやすくなった反面。足跡に一喜一憂したり、なかったら知らなかった気になる子の恋愛事情まで知るハメになることもある。

 

もちろんそれもまたエモい。

 

インスタやツイッターでも、あいつにはフォロー返すのに俺には返してくれないとかそうゆうエモさはある。

もちろんあるよ。でもね、今のそのエモさは、それこそ携帯電話が無い時代からしたら、かなり薄くなってると思う。だって、携帯電話がなかったら丸一日エモい状況が生まれるんだ。今は数秒程度。寝て起きたら忘れるレベルだ。

 

それにこれから先、そう言ったもどかしさとか、思い通りにならない悲しさはこれから無くなっていくよ。なぜなら、エモさというのは、端から見たら儚く美しいものであっても、当事者にとっては悲しいだけの場合が多い。

 

もちろん過去を振り返ったら当事者も美しく思えるかもしれないけど、その時その場は、もっと便利だったらと思うはずだ、

そして人が求めるものは、どう考えたって、その場の苦しみから逃れられるものだ。テクノロジーは需要がないところには生まれない。だからそれが儚く苦しければ苦しいほどその儚さから逃れるテクノロジーは必ず生まれる。

 

高校球児は負けないで済むなら負けたくないはずだ。恋愛のもどかしさなど、なければない方が当事者にとっては良い。俺だって、別れずにいられるなら別れたくなかったさ。エモいなんて思いたくなかったさ。何であの時検索なんてしてしまったんだ。ふと思い出して、元気かなーなんて、別に未練があるわけでも…真奈美…お前みたいな良い子を育てるんだぞ…くどいかこのくだり。

 

要はこれからエモいという感情はどんどん失われて言ってしまうんじゃないかと思う。最近生まれた言葉だけど、失われゆくからこそ生まれたのか何なのか知らないけど、はたから見たらエモさは美しいから、あんまり便利になりすぎるのもどうかと思う。

 

まーその辺は偉い人に任せれば良いか。そんな感じで。

本日は以上。

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それでは。