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無職が隠れて書くウェブマガジン

なんで大人は、遊びから離れてしまうのだろう。

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子供の頃は、学校が終われば公園で缶蹴りをしたり、サッカーをしたり、友達の家にテレビゲームやカードゲームをしに行ったり。休みの日には、親の買い物について行ったり、友達と自転車でどこまで行けるかと、二つ隣の街まで行き、帰ってこれなくなって親に迎えに来てもらっていた。

 子供の頃の遊びとは、そういうものだった。

 

その頃は毎日楽しかったし、やりたくないことは正直に嫌だと言っていた。

 

 

それが中学生になると、親との買い物には行かなくなり、公園で遊ぶことも減っていった。好きだったサッカーも、部活に入ることで、いつのまにか少しずつ遊びではなく教育になってきた。代わりに追加された遊びといえば、クラスの女子とコソコソと会うという遊びぐらいだ。

 

高校生になると、もはやスポーツは完全に部活というカテゴリーに分けられ、楽しんでいる人もいるが、どこか義務感が生じて、学生の本分というような不思議な価値観に落とし込まれ、先生に怒られながらストレスを貯めるものになっていった。

高校生にもなったら自分でお金を稼げという謎の呪縛で、アルバイトもするようになり、遊ぶ時間はますます減っていった。

その中でも残った遊びといえば、部活が休みの日に、友達とカラオケに行ったり、初めてできた彼女と一緒に買い物に行くことだったり。この辺りから急激に「遊び」というものはどんどん減っていた。

 

大学生になり、遊びに「飲み会」が追加された。

それと、男女の仲というものを知り、エロに傾倒するようになった。

まだかろうじてカラオケや友人の家に遊びに行くなどの遊びは残っていたが、遊びといえば、それぐらいだった。

 

 

そして社会人になり、一般的にいえば、「大人」にカテゴライズされるようになった。

するといつの間にか、休日になればダラダラと一緒に過ごしていた友人とも少しづつ疎遠になり、遊び自体の機会がどんどん減っていった。

 

その中でも最後に残ったのが、恋愛と酒と人によってはギャンブルといったところだろう。

 

子供の頃にしていた遊びは、もう完全に興味を持たなくなった。気づけば人は、大人になるにつれて、どんどん遊びの種類が無くなっていく。興味がなくなってその遊びから離れるならいいが、歳をとるにつれて、何かに興味を持つこと自体が少なくなっていった。

 

こうして書いてみるとわかるように、義務教育から、少しずつ、少しずつ、人生の時間が「遊び」から離されていったようにも見える。

 

 社会人になって、カードゲームやテレビゲームに傾倒している人は、「いい加減大人になれ」なんていう、何処かの誰かの決めた遊んでいるやつはロクでもないという、なんの根拠もない価値観を押し付けられる。

 

そして大人は嫌な仕事でも我慢して続けることを美徳とされ、溜まったストレスを発散するにも、発散する遊びの選択肢が限られていく。

大人が山でカブトムシを探していたら、変人扱いだ。

公園で追いかけっこをしていたら、何事かと思われるだろう。

 

例えば動物を見れば、大人も子供も、食うための時間以外は、それぞれがそれぞれに好きなように遊んでいる。

枯葉と戯れる犬もいれば、自分の尻尾を追いかけ回す猫もいる。

 

どんな大人な猫でも、猫じゃらしを持っていけば、楽しそうに遊んでいる。

この前動物園で猿を見ていたら、大人の猿同士が、猿山の周りを楽しそうに追いかけっこをしていた。

 

いつから人間は、大人になったら全力ではしゃげなくなってしまったのだろう。

僕は幾つになっても、好きな遊びを好きに遊んで、生きていたいなぁ。